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田子山富士と敷島神社は○○○○○○○○を専門とする○○○○○○○○会社です。

TEL. 048-473-4124

〒353-0004 埼玉県志木市本町1−1−10

由 来埼玉県指定有形文化財

円墳の上に田子山富士塚を築く

敷島神社の境内にある田子山富士塚は通称「志木のお富士さん」として知られいます。田子山はこの一帯の古い地名であり田子山塚は元々七世紀後半頃の円墳でした。富士塚(富士山のミニチュア)としての築造は、明治5年(1872)のことです。発起者は醤油醸造を生業とする上町の高須庄吉氏でした。彼は常日頃、富士を厚く崇敬していました。

 
そこで富士塚に登ったところ、一基の板碑を発見いたしました。彼はその碑文を読んで、
「自分が尊敬する富士山と縁の深いものであったのか」
 と知って大いに感激し
円墳の上に富士塚築造の素願を起こしたのです。彼はさっそく自分が体験した奇瑞現象を同士に伝え、醸造の神を祭る松尾神社の氏子をはじめ、引き又河岸の舟運関係者に協力と寄進を仰ぎ田子山塚の上へ土盛りをする工事を始めました。
 各地から多くの協力者がはせ参じて工事が進み、工事の参加者への「お茶うけ」は毎日米一俵を要したといいます。
 工事は土盛りに次いで岩石の配置して、植樹を行い、高さ12メートルにおよぶ富士塚を完成させました。そして、数十の諸神・諸仏の碑を建て祭祀を行い、富士山の風穴をまねて、胎内を設けました。
 さらに頂上には、木花開耶姫大神とする浅間神社の奥宮を建立し、北口登山道を模したふもとには、彼が発見した暦応3年(1340)の板碑を下浅間神社として祀りました。田子山富士塚からは、今も神気が発せられています。
    


 神社合祀令に基づき敷島神社となる                       明治39年(1906)、政府は神社合祀令を発っしました。                それに基づき明治41年、当地に鎮座していた浅間神社の木花耶姫大神を主神とし、星野・村山両稲荷の御祭神である倉稲魂大神、水神社の御祭神である罔象女大神を合祀し敷島神社がつくられました。罔象女大神は少なくとも江戸初期から、改修前の柳瀬川が新岸川に流入する直前に祀られていました。享保期(1716〜36)の舘村の名主宮原仲右衛門が著した「舘村旧記」という本に、
「これは尉殿権現という。俗に十殿といい、または、づうどの権現という」とあります。   


田子山富士沿革

暦応3年(1340)
板碑を浅間神社として祀る。
明治5年(1872)
田子山富士塚が築造される。
明治41年(1908)
神社合祀令に基づき敷島神社ができた。

バナースペース

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